新日本延命学の講習会は、大阪、京都以外に、名古屋や横浜などにも世話人がいたと聞いています。健康器の取扱説明書の中に、健康器の申し込み先一覧があり、横浜、名古屋、東京、広島、大阪、京都の申し込み先の住所と電話番号が並んでいます。しかし、京都以外の講習会は閉じられていきました。わたしは、宮原氏の富川氏に対する信頼が厚かったことの現れと考えています。富川氏と京都世話人会の新日本延命学を後世に残したいという強い思いがあってのことでしょう。
新日本延命学の創始者といえども、年齢には勝てません。大徳寺の講習会で、宮原氏自身が、直腸に腫瘍ができているので、わが身で研究していると話されて後、講習会へ来られなくなりました。何回か、富川氏が代役となり、講演と公開治療をされたのですが、宮原氏の復帰が見込めなくなると、大徳寺から、会場の貸し出し終了を告げられました。世話人会で相談し、富川氏に講師になってもらうよう要請して、会場を京都社会福祉会館に移して継続することになりました。