新日本延命学の講習会は、1986年1月から、京都社会福祉会館で「新日本延命学による健康教室」として隔月開催となりました。大徳寺の会場は、ガラス戸越しに墓地が見えましたが、新しい会場は、4階の和室大広間(定員50人)の広い窓から、二条城(1994年、ユネスコ世界遺産に登録)の石垣と堀を見下ろす、明るい環境になりました。
名古屋に住んでいた新日本延命学創始者宮原一男氏は、その後も講習会へ来られることはありませんでした。1986年秋、熊本へ帰る と富川氏に連絡があり、その年の11月に亡くなられたという知らせも入りました。富川氏はじめ京都の世話人一同で、宮原氏の法要を営みました。
新日本延命学による健康教室は、継続して開催されていましたが、1988年1月をもって終了しました。