わたしが小学生の頃(1970年代初め)、中心山荘で行なわれていた、新日本延命学の講習会に、母親に連れられて行きました。恩師富川清太郎が、中心健康会(だったか)の会員となって、通っておられた講習会で、宮原一男氏による講演と治療施術の実演、家庭療法の実技指導があったと記憶しています。
講演の内容は、こどもにも理解できる平易な言葉でしたが、今振り返っても、健康や病の核心を突いたものだと思います。
実演は、論より証拠、百聞は一見に如かずと言う通り、公開治療によって、新日本延命学療法の効果を受講者に示すものでした。治療を受けていた方は、単なるモデルではなく、実際に何らかの病気を患っている初診の人でした。
受講者の目の前で、患者の特徴とスジの関係を説明し─特に重要視している胃下垂の見分け方を説明するときには、患者の手をみぞおちにあてがい、「この感触をよく覚えておいてください。きょう、胃が上がったら、もう感じられなくなりますから。」と念押しする場面が印象的でした─、治療にかかるや、患者のからだがたちまちに変化して、いかにも柔らかく、血液の流れが良くなったことが、見ているだけで伝わってきました。
義姉の場合
元記事:fb2021-09-11
義姉も、延命学療法について理解している人で、半年に1回程度、健康管理の一環として,、わたしの施術を受けていました。それでも、疲れが溜まっていったのか、16年くらい前、倦怠感が強くなり、鉄剤を服用していたようです。それでしのげるようになったのか、他の事情からか、ずっと施術を受けずに10年近く経過したころのことです。
風邪をひいて診療所へ行ったところ、大病院での検査を勧められて受診。専門医の診察の結果、すぐにでも手術をした方が良い状態とのこと。──急を要するというのではなく、手術の性質上、15年ないし20年後にもう一度、手術が必要になることが予想されるので、次の手術を受けるのが、少しでも若い時期になるようにという計算かららしい。
ところが、義姉は、手術は受けない。延命学療法で治すと言い張って(医師に向かって言ったのではありません、念のため)、病院では、定期的な診察、検査を受けるだけで、処方された薬も飲まずに(医師には内緒)、4年半過ごしています。
その間、わたしが行った施術は、義姉の求めに応じて、初めのうちは2週間毎でしたが、現在は月に1度になっています。
経過はというと、病院では毎回、病状に変化なしと言われるそうですが、体調は良くなりこそすれ、医師の診断から想像される息苦しさや動悸などの症状が現れたことは無かったそうです。
義姉に手術を受ける意志が無く、病状が3年間も安定しているということで、大病院に繋いでおくことはないと判断されたのでしょう、主治医の後輩が新規開業するという個人病院を紹介され、現在は、そちらに通っています。
義父が、関節炎リウマチに
元記事:fb2021-08-29
義父は、義母の美味しい手料理の食べ過ぎか、わたしが出会った頃には、コロッとした体形でした。肉質は硬くがっしりとしていましたが、時々、腰痛を起こして横になっている日があるということでした。
二階の寝室で治療を終えて、下の部屋で一服しているところへ降りてきた義父が、
「誠君、家の階段(の角度)が急になって、降りるとき怖かったぞ。」
と、背筋が伸びて、自分の目の位置が高くなったことを そう言うのです。
それ以後は、腰痛で寝込むことはなかった義父ですが、手指のこわばりと疼痛が続くようになり、病院で、関節リウマチと診断されました。週一回か月三回くらい、わたしも治療に通っていました。‥ 間は省力しますが、1年くらいして、リウマチは、治っていました。
最後の診察の日に医師が、
「今までに、わたしが診たリウマチ患者さんのカルテに、完治と書いたのは、これが初めてです。」
と義父に伝えたそうです。このことをわたしに話した後、
「いろいろ考えてみたけどな、誠君の治療で治ったんやと思う。」とも。
娘は、延命学で命拾い
元記事:fb2021-08-05
きょうが誕生日のわが娘は、助産院で取り上げてもらったのですが、難産でした。妊娠期間中に何の異常もなく、分娩室に入るまで変わったことはなかったのですが、いざ出産というときになって、陣痛が弱まってしまうことの繰り返し。
わたしは、出産に立ち会っていたのですが、いつも思い出すのは、ようやく生れ出た赤ちゃんの産声がしなかった事と、取り上げた産婆さんが、赤ちゃんの首に巻き付いていたへその緒をくるくると2回!ほどいていた光景です。その後、鼻から細い管を通して羊水(?)を吸い出してもらったら、ようやく産声を上げたのでした。
実は、わたしが分娩台に上がって、延命学施術をした直後のことでした。産道が緩んで、赤ちゃんが通りやすくなったのです。わたしは、この娘も延命学で命拾いしたのだと思っています。
母の場合
元記事:fb2020-07-16
母の場合は、比較的強い月経痛や、頭痛が頻繁に起きていたようです。乗り物酔いもあったと思います。
富川先生に、胃下垂を治していただいてからは、症状が軽くなり、乗り物酔いもしなくなりました。わたしの両親は、お互いに延命学療法を施術し合っていたので、自分の症状には、どこを重点的に施術すれば良いかを知っていました。
わたしが高校生の頃、母が、
「生理痛は、痛くなってからでは治療があんまり効かへん。始まる三日くらい前から、内股(大腿内側)を治療しといたら効くで。それと、日数が短くなってサッと済むわ。」
と話してくれました。
「オレに関係無いやん。」
「友達に言うたげたらええやん。」
「そんなこと、訊くんか。」
「訊いたらええやん。勉強やんか。」
「‥‥(-_-;)」
というやり取りをしたと思います。
勉強させていただいた方々、ありがとうございました。
伯母が脳血栓、半身不随に
元記事:fb2020-10-10
父の直ぐ上の姉も、自身の体験から新日本延命学に熱心になりました。京都府北部に住んでいた伯母が、50歳頃、脳血栓で半身不随になりました。かかりつけ医の紹介で、京都大学附属病院を受診することなったのですが、父の勧めで、病院に行く前に、富川先生に治療してもらいました。
京大病院で伯母を診察した医師は、すぐそばで見学していた数人のインターンに対して、紹介状を寄こした医師は、オーバーに書いていると言ったそうです。ところが、翌月の受診日には、先月はこんなに悪くなかったな と驚いたようにインターンに確かめたというのです。この体験から伯母は、富川先生の新日本延命学治療の効果を確信したそうです。
父が、新日本延命学に熱心に
元記事:fb2020-10-08
わたしが富川先生にお世話になり始めた頃に、父の膝が痛むようになりました。一か月間、整形外科に通っても治らず、手術を受けることに。
膝関節内の関節半月という組織が大きくなっているから、手術で余分なところを切り取る必要があるとのこと。ところが、予約していた日に、担当医が欠勤で手術が延期に。その晩、富川先生が訪ねてくださり、父に新日本延命学の施術されたのです。
治療直後には、「こんなことで治るはずがない」と内心思っていたそうですが、翌朝になって、いつもより膝が楽になっていることに気付いたそうです。徐々に痛みが軽くなり、手術は取りやめに。
医者が、「切り取らなければ治らない」と言った関節半月が、一晩で小さくなるはずはないのですが、痛みが退いていった。この体験で、父は、新日本延命学に確信を持ったのです。
元記事:fb2020-10-01
新日本延命学では、運動神経筋は、脚や腕などの付け根の柔らかいところで腫れるとされています。腫れて球になっている部分は、ヒモにできた結び目に喩えられ、球の数が多かったり、大きかったりすることは、運動神経筋がより縮んでいることを意味します。そして、運動神経筋につながっているところが球の方に引っ張られるので、球から離れた部位であっても血流が悪くなると説明しています。
肩凝りを例に挙げると、肩につながっている臀部の運動神経筋が腫れると、腰から背中、肩、首にかけてつながっている運動神経筋が、臀部に向かって引っ張られます。運動神経筋は緊張して硬くなり、そばの血管を圧迫して血行不良を起こします。これが肩凝りの原因という具合です。ですから、肩凝りの治療では、肩よりも先に臀部の運動神経筋の腫れを小さくしなければ、効果が低いのです。
わたしは、子どもの頃からよく肩を凝らしていて、自分で健康器を使ってセルフケアをしていましたが、辛い肩凝りを治そうと、肩に健康器を当てても満足できず、やっぱり脚の付け根から緩めないとダメだなあ という経験を何度もしました。更に、肩に健康器を当てるのを辛抱して、脚周りから健康器を当て始めた時には、臀部を緩めていると、肩凝りが薄らいでしまうという経験を何度もしたものです。
薬をやめる
元記事:fb2020-09-23
小学3年の初めに重症筋無力症を発症したと書きましたが、記憶違いでした。小学生の頃の『健康診断個人票』が残してあったので確認したところ、2年生の4月15日
「筋無力症(治療薬服用 半永久的に)」
と書かれていました。発症は、それより前ということになりますね。
富川先生に、新日本延命学の治療をしていただくようになったのは、昭和47年の初めころだと思います。小学5~6年生頃。
新日本延命学の原理は、血液の流れが悪くなるから病気になる。その原因は、スジの腫れが血管を圧迫すること。スジの腫れを血管から離せば、血液の流れが回復して病気が治る。
という、単純明快なものです。
富川先生は、わたしに向かって、
「人間は、薬で動いてるのと違うやろ。」
と。これが、刺さりました。
腹痛の副作用がある薬を1日3回飲んでいて、しかも、病気を治すものではない。医師からは生涯続けなければいけないと言われていました。中学2年生の頃と記憶しています。わたしは、母親に宣言しました。
「薬を飲むの止める。」
重症筋無力症を発症
元記事:fb2020-09-17
わたしが、富川先生から延命学の治療を受け始める前、小学3年生になったばかりの頃、重症筋無力症を発症しました。この病気は、突然、筋肉に力が入らなくなること(そして、しばらく休めば力が回復すること)が特徴なのですが、わたしの場合は、瞼(まぶた)を引き上げる筋肉に顕著に現れました。症状に気付いた母に連れられ眼科へ行くと、視力検査や暗室での検査の後、これは、目の病気ではない。大学病院へ行くようにと勧められたのです。
京都大学附属病院での診断が、重症筋無力症でした。医師の説明は、この病気は、現在の医療では治すことができない。症状を軽くする薬を飲み続ける必要がある。今は、瞼の筋肉に出ているが、全身のどこの筋肉にも出る可能性があるので、道路を渡っているときに、足が動かなくなる恐れだってある。呼吸をする筋肉の場合は、息ができなくなることもある というものでした。