カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ 症例

義姉の場合

元記事:fb2021-09-11

 義姉も、延命学療法について理解している人で、半年に1回程度、健康管理の一環として,、わたしの施術を受けていました。それでも、疲れが溜まっていったのか、16年くらい前、倦怠感が強くなり、鉄剤を服用していたようです。それでしのげるようになったのか、他の事情からか、ずっと施術を受けずに10年近く経過したころのことです。

 風邪をひいて診療所へ行ったところ、大病院での検査を勧められて受診。専門医の診察の結果、すぐにでも手術をした方が良い状態とのこと。──急を要するというのではなく、手術の性質上、15年ないし20年後にもう一度、手術が必要になることが予想されるので、次の手術を受けるのが、少しでも若い時期になるようにという計算かららしい。

 ところが、義姉は、手術は受けない。延命学療法で治すと言い張って(医師に向かって言ったのではありません、念のため)、病院では、定期的な診察、検査を受けるだけで、処方された薬も飲まずに(医師には内緒)、4年半過ごしています。

 その間、わたしが行った施術は、義姉の求めに応じて、初めのうちは2週間毎でしたが、現在は月に1度になっています。
 経過はというと、病院では毎回、病状に変化なしと言われるそうですが、体調は良くなりこそすれ、医師の診断から想像される息苦しさや動悸などの症状が現れたことは無かったそうです。

 義姉に手術を受ける意志が無く、病状が3年間も安定しているということで、大病院に繋いでおくことはないと判断されたのでしょう、主治医の後輩が新規開業するという個人病院を紹介され、現在は、そちらに通っています。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ 症例

義父が、関節炎リウマチに

元記事:fb2021-08-29

 義父は、義母の美味しい手料理の食べ過ぎか、わたしが出会った頃には、コロッとした体形でした。肉質は硬くがっしりとしていましたが、時々、腰痛を起こして横になっている日があるということでした。

 二階の寝室で治療を終えて、下の部屋で一服しているところへ降りてきた義父が、
「誠君、家の階段(の角度)が急になって、降りるとき怖かったぞ。」
と、背筋が伸びて、自分の目の位置が高くなったことを そう言うのです。

 それ以後は、腰痛で寝込むことはなかった義父ですが、手指のこわばりと疼痛が続くようになり、病院で、関節リウマチと診断されました。週一回か月三回くらい、わたしも治療に通っていました。‥ 間は省力しますが、1年くらいして、リウマチは、治っていました。
 最後の診察の日に医師が、
「今までに、わたしが診たリウマチ患者さんのカルテに、完治と書いたのは、これが初めてです。」
と義父に伝えたそうです。このことをわたしに話した後、
「いろいろ考えてみたけどな、誠君の治療で治ったんやと思う。」とも。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ 症例

娘は、延命学で命拾い

元記事:fb2021-08-05

 きょうが誕生日のわが娘は、助産院で取り上げてもらったのですが、難産でした。妊娠期間中に何の異常もなく、分娩室に入るまで変わったことはなかったのですが、いざ出産というときになって、陣痛が弱まってしまうことの繰り返し。
 わたしは、出産に立ち会っていたのですが、いつも思い出すのは、ようやく生れ出た赤ちゃんの産声がしなかった事と、取り上げた産婆さんが、赤ちゃんの首に巻き付いていたへその緒をくるくると2回!ほどいていた光景です。その後、鼻から細い管を通して羊水(?)を吸い出してもらったら、ようやく産声を上げたのでした。
 実は、わたしが分娩台に上がって、延命学施術をした直後のことでした。産道が緩んで、赤ちゃんが通りやすくなったのです。わたしは、この娘も延命学で命拾いしたのだと思っています。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ 症例

母の場合

元記事:fb2020-07-16

 母の場合は、比較的強い月経痛や、頭痛が頻繁に起きていたようです。乗り物酔いもあったと思います。
 富川先生に、胃下垂を治していただいてからは、症状が軽くなり、乗り物酔いもしなくなりました。わたしの両親は、お互いに延命学療法を施術し合っていたので、自分の症状には、どこを重点的に施術すれば良いかを知っていました。
 わたしが高校生の頃、母が、
「生理痛は、痛くなってからでは治療があんまり効かへん。始まる三日くらい前から、内股(大腿内側)を治療しといたら効くで。それと、日数が短くなってサッと済むわ。」
と話してくれました。
「オレに関係無いやん。」
「友達に言うたげたらええやん。」
「そんなこと、訊くんか。」
「訊いたらええやん。勉強やんか。」
「‥‥(-_-;)」
というやり取りをしたと思います。
勉強させていただいた方々、ありがとうございました。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ

熱心なあまり、電車の中でも

元記事:fb2020-10-18

 重症筋無力症のわたしのことを富川先生に相談してくれた伯母は、父の二人いる姉の年上の方。その伯母も、熱心に新日本延命学を人に紹介していました。
 父から聞いた伯母の熱心さを表す話に、こんなのがあります。ある日、父と伯母が近鉄電車に乗っていた時のこと。乗り合わせた人が、膝が痛むと言うのを聞いた伯母は、新日本延命学のことを話してあげたそうです。そればかりか、スカートをまくり上げて、自分の脚の付け根のスジを緩める実演をしてみせたそうです。
「わしゃ、恥ずかしかったわ。」
と父が言っていました。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ

遠距離出張施術は堪える

元記事:fb2020-10-15

 脳梗塞の後遺症が、はた目からは分からないくらいに回復した伯母は、周囲の人たちから病気の相談を受けるようになったので、富川先生に出張施術を依頼して、施術会場や宿泊等のお世話をしていました。
 富川先生が、もう歳やから出張は堪える と施術に出向かれなくなった後何年かして、わたしが、伯母の定期的な施術のために通うことになると、伯母が相談を受けた人たちの施術依頼も受けることになりました。施術を終えて帰る日、数時間の列車での移動は、富川先生でなくても堪えました。身をもって知った疲労の現れ方は、勉強にもなりました。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ 症例

伯母が脳血栓、半身不随に

元記事:fb2020-10-10 

 父の直ぐ上の姉も、自身の体験から新日本延命学に熱心になりました。京都府北部に住んでいた伯母が、50歳頃、脳血栓で半身不随になりました。かかりつけ医の紹介で、京都大学附属病院を受診することなったのですが、父の勧めで、病院に行く前に、富川先生に治療してもらいました。

 京大病院で伯母を診察した医師は、すぐそばで見学していた数人のインターンに対して、紹介状を寄こした医師は、オーバーに書いていると言ったそうです。ところが、翌月の受診日には、先月はこんなに悪くなかったな と驚いたようにインターンに確かめたというのです。この体験から伯母は、富川先生の新日本延命学治療の効果を確信したそうです。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ 症例

父が、新日本延命学に熱心に

元記事:fb2020-10-08

 わたしが富川先生にお世話になり始めた頃に、父の膝が痛むようになりました。一か月間、整形外科に通っても治らず、手術を受けることに。
 膝関節内の関節半月という組織が大きくなっているから、手術で余分なところを切り取る必要があるとのこと。ところが、予約していた日に、担当医が欠勤で手術が延期に。その晩、富川先生が訪ねてくださり、父に新日本延命学の施術されたのです。
 治療直後には、「こんなことで治るはずがない」と内心思っていたそうですが、翌朝になって、いつもより膝が楽になっていることに気付いたそうです。徐々に痛みが軽くなり、手術は取りやめに。
 医者が、「切り取らなければ治らない」と言った関節半月が、一晩で小さくなるはずはないのですが、痛みが退いていった。この体験で、父は、新日本延命学に確信を持ったのです。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ

学友

元記事:fb2020-10-03

 専門学校は、2年間。学校で知り合った人に、新日本延命学の講習会を紹介したら、何人か受講された中に、卒業後、地元の津市で開業されてからも、京都の講習会に通われていた方がいらっしゃいます。様々な療法を勉強されているのですが、新日本延命学に出会えて本当に良かった、すごい治療法だ と、会う度におっしゃるので、励みにしてきました。

カテゴリー
わたし及び身近な人々 ブログ

プロの治療師を目指す

元記事:fb2020-09-27

 高校の頃は、友達に練習台になってもらうこともありました。
卒業後1年くらいして、父に誘われて大徳寺の講習会の手伝いに入るようになりました。世話人の人たちと月に一度、富川先生のところで勉強会があり、一緒に学ばせてもらいました。
 当時、わたしは勤めていたのですが、ある日、富川先生から、この治療を仕事としてやる気はないか と声をかけてもらいました。先生は、これからの時代のことを考えると、免許を取った方が良いと思う と仰った