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「重さそのもの」は,感知できない

元記事:アメブロ2017-11-30 17:16:56

 片側の脚の付け根の施術を終えて,患者本人に,膝の曲げ伸ばしを行なってもらうと,「軽くなった。」と答えられるのですが,まだ施術していない方の脚は,「重く感じる。」と言われます。

 重量は変化していないのに,一方の脚は軽く,他方は重く感じるのですから,感覚によって脚の「重さそのもの」を知ることは出来ないことを意味しています。その理由をわたしは,次のように考えています。

 例えば,物を持ち上げるとき,重い物ほど大きな筋力が必要ですが,発揮される筋力が大きいときほど,血管が強く圧迫されて血流が低下します。それで,「重い」という言葉を覚えるときに,無意識下での「相対的に血流が少なくなっている状態で持ち上げている」という体験と結び付けているのではないか。血流の相対的減少量と物の「軽い」,「重い」という言葉との対応関係が記憶されるのです。そのため,施術した側の脚に比べて「血流が少なくなっている状態で動かしている」方の脚を「重い」と感じる(意識する)のだろう。

 このように考えると,他の感覚についても,血流との関係が説明出来ると思います。

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血流の需要供給関係と痛み

元記事:アメブロ2017-11-29 12:18:06

 痛みに代表される不快感は,カラダが血流不足を意識に知らせているもので,意識的な行動で血流を改善するよう促されているというのが,痛みの意味だと書きました。

 そこで,痛みがあるところには,血流の需要が高まっていて,カラダはそれに応じていると言える現象を紹介します。

 このブログを読んでいる今,直ぐにでも確かめられる簡単な方法です。前腕前面のような色の白いところを,爪でつねるか,引っ掻いてみるだけです(出血させないように力加減して下さいよ)。痛みを感じた部分は,周囲と比べて赤みを帯びてきます。痛みは,つねったり引っ掻いたりした直後よりも,薄らぐか無くなっているはずです。これは,痛みを感じたところの血流需要が高まって,それに応じてカラダが末梢血管を拡張するなどして,血流の供給量を増やしたと考えられます。

 このように,カラダは無意識下で血流の需要の高まりに応じて,供給量を増すよう反応するのですが,つねられたり,引っ掻かれている時には,手を離すなどの意識的行動を促す感覚として痛みを意識に生じると見ることが出来ます。

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施術痛を与えないためには

元記事:アメブロ2017-11-27 20:12:47

 気温が下がってきたので,食器を洗うときに湯を使うようになりました。設定温度は37度にしているのですが,手が冷えているときには随分熱く感じて,設定を間違えたかと思うことがあります。真冬に冷水を使い続けていると,痛みを感じる事もあります。

 このことから,神経は,冷えると熱刺激に過敏になり,更に冷えが強いと痛みを発すると言えます。

 また,押されたり,引っ張られたりする機械的刺激に対しても,神経は冷えると過敏になると思われます。例えば,冷えた身体を動かすと痛みを感じますし,ウォームアップすれば,同じ強度の運動をしても痛みを感じなくなります。

 きのう,血流が不足すると,カラダが意識に不快感で知らせて,改善する行動を促す仕組みがある事を書きましたが,血流が低下して神経を適温に保てない部位では,神経が過敏になるという段階があるようです。

 以上のことを踏まえて,施術痛について考えてみると,スジが固くなって血流が低下している部位を施術するときには,痛みが生じて当然と言えます。それにもかかわらず,宮原先生の施術が痛くなかったのは,巧みな手技を用いて,施術部位を極力刺激しなかったからと考えられます。

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痛みの意味を考える 4

元記事:アメブロ2017-11-26 15:16:36

 血流は無意識のうちに調節されています。運動や食事に伴って脈拍が変動することは,前に書きました。その他,寒いときに末梢血管を収縮させて,皮膚の血流量を減らして放熱を抑制したり,暑いときには逆に,末梢血管を拡張して放熱を促進させる事もしています。寝返りや,無意識に取る姿勢では,血管の圧迫が続かないようにしていると見ることが出来ます。

 この無意識に行なわれる血流の調節・配分が上手く行かず,血流が不足する事態になったとき,不快感が起ります。不快感には,冷感,倦怠感,鈍重感,痺れなどがあり,最も強いものが痛みです。

 不快感が起るのですから,何かせずにはいられません。暑さ寒さに関しては,着衣を調節したり,居場所を変えたりするでしょう。正座を続けて足にしびれを感じたら脚を崩す,デスクワークで肩が凝ったら,伸びをするなどします。

 つまり,痛みに代表される不快感は,カラダが血流不足を意識に知らせているもので,意識的な行動で血流を改善するよう促されているのです。

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痛みの意味を考える 3

元記事:アメブロ2017-11-25 15:40:18

 われわれの身体は,血液の流れによって生かされ働き,健康を維持しています。

 運動をするときには,筋肉に酸素や栄養を供給するために血流が増加します。心拍数や呼吸数が上がることに現れます。

 食事をすると,消化吸収に関わる器官や臓器に血流が増えることは,容易に想像できます。この場合も,脈拍が上昇します。

 食後直ぐに激しい運動をすると,消化不良を起こす事があります。運動のパフォーマンスも下がります。血液の量は,消化吸収と激しい運動を同時に行なうには足りないのだと考えられます。つまり,一定の血液量で「やりくり」しているわけです。

 食事をするとき,消化器官に血流を増やそうと考えて実行する人はいないでしょう。運動するときに,心拍数や呼吸数を意識的に上げている人もいないはずです。血流配分は無意識に行なわれます。このことは,消化吸収や運動以外の,身体の働きにも当てはまるに違いありません。

 このように,血流は,無意識の領域の事象です。一方,痛みは,意識の領域の事象です。わたしは,意識と無意識の観点から,痛みと血流を結び付けることができると考えています。

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痛みの意味を考える 2

元記事:アメブロ2017-11-24 22:06:09

 運動神経筋が血管を圧迫して,血流が悪くなった場所に痛みが起きる と宮原先生は,言っています。これを痛み全体に当てはめることはできません。例えば,料理中に包丁で指先を切ってしまったときなど,傷口が痛むのは,腕の付け根でスジが腫れて血管を圧迫した結果,指先の血流が悪くなったから とは言えません。指先を切った直前直後で,腕の付け根のスジの腫れ方に違いはありませんから。

 スジが関与した痛み,ケガの痛み,施術痛やその他の痛み(頭痛,月経痛,歯痛,腰痛,筋肉痛,神経痛‥)にも共通した,簡単な言葉で表現できる原理があるのではないかと、わたしは考えていました。その原理は,血流と関係しているはずだと。

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痛みの意味を考える

元記事:アメブロ2017-11-23 17:48:01

 施術痛を極力生じさせないように施術することは,施術効果を高めることに通じると考えられます。痛みを伴う治療を好む人は少ないでしょう。これから痛いことをされるという心理は,心身の緊張を招きますから,スジを緩める妨げになります。

 そもそも,痛みとは何なのかという問いの答えに,無痛施術のヒントがあると思われます。また,多くの疾患に伴う痛みを鎮める方法も分かるのではないでしょうか。

 しばらく,痛みについて考えてきたことを書いてみます。

「痛みとは,危険を知る感覚である。」

えっ! いきなり答えか? と思われた方もいるかもしれませんが,これでは,無痛施術を可能にするヒントは得られません。それに,術痛があっても良く効いたという例は沢山あります。「痛みは,危険を知る感覚」に照らせば,「施術痛は,その施術が危険だという意味」と解釈できます。「痛気持ちいい」などとも言います。「危険だけれども,気持ち良く感じてしまう」となれば,医学・生理学よりも心理学の領域になってしまうかもしれません。なので,「痛みとは,危険を知る感覚である。」というのは,いま求めている答えではありません。 つづく。

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施術痛を避けられない人もいる

元記事:アメブロ2017-11-22 21:03:04

 宮原先生の無痛施術にも例外はありました。わたしの知る限り,お二人ですが。ひとりは,昨日のブログで紹介した方と急遽交代することになった20代の女性です。この方は,公開治療のモデルだったのですが,宮原先生が施術を始めた途端に痛みを訴えました。先生が,「これは,どうですか。」と施術法を変えてもダメで,「じゃあ,これは。」と訊ねながら,軽く触れてみても苦悶の表情を浮かべたため,モデルとして適さないと判断されたのでした。

 もう一人は,少し年配の女性で,大きな子宮筋腫(新生児の頭くらいあったそうです)を抱えた方でした。手術を勧める医師もいましたが,「切っても,症状が軽くなるとは限らない」という医師もいて,新日本延命学による治療を選んだそうです。

 お二人とも施術しましたが,深部のスジが肥厚,膠着強固で,緩めるのに苦労しました。もちろん,術痛を堪えてもらいながらの施術でした。宮原先生の施術でも術痛を感じる人なのだから,しょうがない と諦めのような安堵のような心境でした。

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宮原先生の無痛施術 2

元記事:アメブロ2017-11-21 07:52:13

 術痛を与えないように施術しても,肝心の球が外れなければ意味がありません。宮原先生の無痛施術で,本当に球が外れるのか。わたしは,図らずも,それを検証できる機会を得ることが出来ました。月に一度の割合で,何度か施術していた方が,偶然,公開治療のモデルになったのです。

 その方は,50過ぎの女性で,血圧が高く赤ら顔,肥満でした。わたしは,その方の深部の球を外すことが出来なくて,術痛も強い様子だったので,申し訳ないやら情けないやら,悩んでいたのですが,一方で,脚周りが太くて,深いスジに指が届きにくい上にスジが固い人なので,施術を繰り返して緩んでくる時を待つしかしょうがないと割り切ってもいました。

 宮原先生は,いつも通り,

「痛いときは,痛いと言ってください。痛くなく出来るんだから。」

と声を掛けながら,あれよあれよという間に施術を済ませてしまいました。

 後日,その方を施術して驚きました。何度やっても外すことが出来なかった球が,完全に浮いてしまっていたのです。その方は,宮原先生の施術は,ぜんぜん痛くなかったそうですが,わたしが,その浮いたスジを動かしてみると,痛がっていました。

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宮原先生の無痛施術

元記事:アメブロ2017-11-20 09:42:22

 富川先生は,宮原先生と同等の治療効果を出す領域まで,施術手技を修得されていましたが,宮原先生の手技と大きく違っていた点がありました。それは,施術に伴って患者が感じる痛み(術痛)です。

 富川先生の施術は,すごく痛いけれども良く効くという評判でした。「痛いのを辛抱しないと効かない。」,「痛いから効く。」と理解していた人も沢山いました。富川先生は,極力,術痛を与えない手技を研究され,術痛を軽くすることに成功されていましたが,「痛いのは,そっち持ち」と言わざるを得ないこともありました。

 それに対して宮原先生の施術は,術痛を訴える人がほとんどいなかったのです。

「痛いときは,痛いと言ってください。痛くなく出来るんだから。」

と声を掛けながら施術されていました。わたしが見た公開施術の中で,痛みを訴えた人は,ひとりだけでした。わたしの父は,宮原,富川両先生の施術を受けた事がありましたが,やはり,宮原先生の施術は,「ぜんぜん痛くない。」と言っていました。