先日、7年間にわたりSujiLabに参加しているメンバーと、ある方を訪問しました。勉強会を始めた7年前、熱心に学んでいるメンバーの姿に感動したと、昼食の差入を申し出て今も続けて下さっています。施術技能の修得の程を見て頂こうということで、お礼の施術会を行ないました。SujiLabの研究成果である「痛みを与えない施術手技」を受けられて、大変喜んで頂けました。
リモートSujiLab
諸事情で集まることができないときは、Zoomを利用してSujiLab活動を行っています。先日、前の週のSujiLabで録画・編集しておいた動画を、Zoomの画面共有機能を使って参加者と振り返っていました。
新日本延命学と楽健法
新日本延命学の家庭療法として足圧(そくあつ)が考案されたことを以前書きました(新日本延命学の講習会 2)。その足圧とよく似た健康法に楽健法(らっけんほう)があります。
ここで似ているというのは、施術に限定してのことです。足圧も楽健法も、脚や腕の付け根部分を足で踏む施術を行います。二つが似ている理由は、楽健法の創始者である山内宥厳氏が、新日本延命学の講習会で宮原一男氏の施術を学び、それを元にして考案されたからだと伝わっています。
楽健法は、施術法において足圧と似ていますが、運動神経筋について述べられることは無く、病理観も違い、新日本延命学療法を行うものではないようです。踏む人と踏まれる人の相互作用を重視されていて、正式名称は「二人ヨーガ楽健法」だそうです(https://ja.wikibooks.org/wiki/楽健法)。
楽健法を行っている方の中には、その元になった新日本延命学について学んで、「楽健法がよく効く理由が分かった」と仰る方がいらっしゃるそうで、うれしい限りです。
わたしには、「延命学的」をキーワードに、人体生理や疾病に伴う症状を解釈・説明する習慣があります。わたしの言う延命学的とは、血液の流れを監視する仕組みが人体には備わっていて、必要に応じて血流配分が無意識のうちに行われていることと、無意識のうちに血流配分ができないときには、身体は不快感によってそのことを意識に知らせるようになっている という観点を持つことです。
ランニングを例に説明してみましょう。走り始めた時はなんともありませんが、しばらくすると息が上がってきますね。この時心拍数も上がっています。ランニングに必要な酸素を供給するためであることは誰でも知っていますが、予め、ランニングに必要な呼吸数や心拍数を意識して調節している人はいないでしょう。このことを、身体が必要に応じて無意識のうちに血流配分をしていると見るのです。更にランニングを続けていると、息が苦しくなったり脚が重く感じられるようになりますが、この状況について、身体が意識に対して、血流不足が生じていることを知らせていると見るのです。
少し飛躍するようですが、不快感は、血流不足の状態にあることを身体が意識に知らせているのであり、強い不快感を痛みとして感じるようになっていて、意識的な行動で血流不足を解消するように仕向けられていると考えています。
さまざまな不快感や痛みを、このような単純な理論で説明する試みを、「延命学的に考える」と言って、SujiLabの仲間にも奨励してきました。
新日本延命学の創始者である宮原一男氏は、施術をしながら「血液を流すということ」と言っていましたし、わたしの恩師富川清太郎は、痛みや不快感が起きる原因を「冷え」と言い切っていました。冷えは、血液が運んでくる熱が足りない状態や、その部位が発熱するために必要な酸素が足りないことの現れですから、正に「延命学的」です。
このように、「延命学的」という言葉は、新日本延命学の病理観を表していると思うのですが、宮原氏や富川氏が唱えていたのではなく、この文のはじめに紹介した不快感や痛みの解釈は、わたしの推測にすぎません。
SujiLabを多くの人の目に触れるWebで紹介するにあたり、わたしの勝手な解釈を新日本延命学と結びつけることは控え、今後は、「延命学的」ではなく「SujiLab的」を使用します。
『新日本延命学』を読む 6
『新日本延命学』では、新日本延命学療法によって、多種多様な病気が治ることが説明されています。目次から拾ってみると、ガン、ムチウチ症、脳卒中、心臓病、動脈硬化症、高血圧症、低血圧症、貧血症、白血病、肺結核、風邪と熱、肺炎、ぜん息、肝炎と黄疸、肝硬変、胃酸過多症、胃炎とかいよう、糖尿病、下痢、便秘、神経痛、関節炎リウマチ、脚気、化膿、結石症が並んでいます。
実際に、宮原氏の施術を受けて、これらの疾病から救われた人がたくさんいたことは間違いないです。また、宮原氏の治療手技を学んで治療に携わった人たちも、その治療効果を実証してきたと言ってよいと思います。
しかし、その事実を説明する理論について、『新日本延命学』に記されている内容には、疑問点が多いです。中でも最大の問題は、運動神経筋と球の発見の経緯が明らかにされていないことです。
p.2に、「一般によく使われている言葉に、リンパ腺というのがあります。リンパ腺が腫れる、リンパ球ができた。あるいは、年を取ってスジが硬くなったから身体が曲がらない。などといっているのが「新日本延命学」でいう運動神経筋と球のことなのです。アキレス腱というのも、運動神経筋の中の一本になるのです。」
とあります。そうだとしたら、運動神経筋と球は、宮原氏が発見したと言えるでしょうか。
また、運動神経筋の性質について述べられている部分で、矛盾が見られます。p.4恐ろしい「冷胃症」の冒頭に、
「運動神経筋が硬くなっているところに、何かの急激な無理が起きて球ができると、運動神経筋が縮んできますが、この「縮む」という現象は同時に「冷える」という結果を生み出します。」
と説明があります。そして、p.6では、
「盲腸炎は、‥中略‥いつも硬くなっている運動神経筋に、急激な疲労がくると、盲腸のところで炎症を起こすのです。この炎症を起こした熱のために化膿をして、盲腸の部分の組織が犯されていくのです。」
という具合です。無理は冷えを招き、疲労は熱を生じると使い分けていますが、納得することはできません。
わずか6ページで、新日本延命学の要と言える運動神経筋の説明に矛盾が見られます。各疾患の説明においても疑問点が多い。特に、ガンについての記述は、何を観察した結果そう言えるのか分かりません。半世紀前には、そういう説もあるのかと、受け入れられたかもしれませんが、非科学的と批判されても仕方ないでしょう。
ですが、批判の対象は、説明の仕方です。はじめに書いた通り、新日本延命学療法の治療効果は、確かめられています。SujiLabでは、科学的態度で運動神経筋について研究しています。
『新日本延命学』を読む 5
大衆向けに書かれたからと言って、内容が軽薄という事はありません。医学の大革命と称賛された新日本延命学を、やさしい言葉で深く語られています。
「第一章いろいろな病気」では、冒頭、地球上のすべての生命には、秩序が保たれている、それが乱れると生命が脅かされる。と前置きをして、人間の生命も、各器官や組織がお互いに緊密なつながりを持ち、助け合って働いて、人間という一つの総合された生命体を動かし、日々の生活が営まれている。この調和が狂い乱れたときに、病気というものが現れてくる。病気を治すということは、元のように自然に戻してやり、本来の秩序正しい機能の働きが発揮できるようにしやればいい と説いています。
第一章の内容は、がん、ムチウチ症、脳卒中をはじめとして、いろいろな病気が取り上げられるのですが、一見別々の原因で起こるこれらの病気に、共通の原因ー運動神経筋と球の発見ーがあり、これが、人体の調和を保っている血流を滞らせて、いろいろな病気を引き起こす大本であるという病理観が説かれています。
運動神経筋と球が、いかにして血流不足と体調不良を招くのかを、典型的に表している「胃下垂」「冷胃症(宮原氏命名)」について説明する中で、体温の役割が重視されています。ハト、馬、ヒトが消化できる食物の違いが、体温の違いと対応することを例に挙げて、「食物は熱で消化される」と表現しています。「冷えは大敵」とは、巷間、伝わっている事でもあり、医学用語を使わず、平易な説明に努めた結果でしょう。
『新日本延命学』を読む 4
第三章 病気はこうして治そう には、
‥本書をよく読んでから講習なり指導を受け、「延命器」を使用すれば、全く治療に経験のないはじめての人でも、必ず、病気が治せるようになっているのです。
と書かれています。しかし、『新日本延命学』には、「延命器」の入手方法や、どこで、講習や指導を受けられるかが、書かれていません。
巻末には、「延命器(三セット一組)略図」のページがあり、「背中、腕、臀部治療用」「脚部治療用」「腕のつけ根治療用」が図で示してあるのですが、どれ一つとして、わたしは見たことがありません。宮原氏、富川氏のどちらも、話題にされたことがありません。
『新日本延命学』発行当時に、掲載されている「延命器」の実物は存在しておらず、使い方の指導を受けられる場所もなかったのではないかと思われます。「延命器」に関する部分は、見切り発車的に掲載されたのかもしれません。
新日本延命学の治療器と言えば、1970年代半ばに、多田電機製作所が製造を始めた「健康器」です。当時の「健康器」に貼ってあるラベルには、MーⅠ型、日米・特許出願中とあります。おそらく、Mは、宮原(Miyahara)の頭文字、Ⅰ型というのは、1番目の器械(初号機)を意味しているのでしょう。
『新日本延命学』を読む 3
『新日本延命学』の「まえがき」には、
‥医学というものは、<中略>、子供にでも、だれにでも簡単にわかるようにするのが本当の医学である。という信念にもとづいて、本書では、難しい外国語や医学用語等を、できるだけさけて、あえて「やさしい本」「わかりやすい本」となるように心がけました‥
と書かれています。
「この本をお読みになる方へ」では、
‥本書をよく読んで、講習なり指導を受けてから「延命器」を使用すれば、<中略>素人の方でも、本当に、しかも簡単に、自分で病気が治せるのです。
‥家庭に平和と幸福をもたらせられんことを切望しているのであります。
と書かれていて、一般大衆を読者として想定されています。
宮原氏は、講演の中で話されていました。
「運動神経筋と球の研究によって、病気というものの大本が解明され、難治とされていた病気を簡単に治すことができると医者に言ったら、笑って横を向いていた。」
京都講習会世話人代表の富川氏は、
「医者に言ってもラチが明かないから、直接、病気で困っている人に向けて、講習会で広めていくことにした。」
と話されていました。
『新日本延命学』を読む 2
「新日本延命学をお読みいただく方へ」という文中に、「‥この新日本延命学をまとめるに当たりましては、非常な短時日の間に夜を徹して書いたもの‥」というくだりがあります。どうしてそんなに急いだのでしょう。素晴らしい新日本延命学を一刻も早く、多くの人々に知らせたいと思われたに違いありませんが、新日本延命学を広める絶好の機会が迫っていたため、それに合わせて発行を急いだのではないでしょうか。
三度、奥付を見ますと「昭和45年10月8日 発刊」とあります。おそらくこの日のすぐ後に、『新日本延命学』を広範な人々に知らしめることができる何かが予定されていたのではないでしょうか。白光真宏会に関係するイベント? そう思って、ネット検索してみました。
白光真宏会の開祖である五井昌久氏(ウィキベディアより)に関して、一般社団法人五井昌久研究会が公開している、五井昌久師生涯年表が見つかりました。
昭和45年の欄に、
10月 16~21日/京都にての世界宗教者会議に日本代表として出席
とあります。この会議は、第一回世界宗教者平和会議のことだと思います。発行者である新日本延命学後援会は、世界に向けて『新日本延命学』を発信しようとしていた⁉
そんな思いを巡らせています。
『新日本延命学』を読む 1
『新日本延命学』という本は、奇妙な本です。奥付には、「著者 宮原一男」と記されていますが、「まえがき」を書いているのは、宮原氏ではありません。編者敬白とあります。「まえがき」の次に、「この本をお読みになる方へ」、「新日本延命学をお読みいただく方へ」という文が続いていますが、どちらも宮原氏によるものではありません。
「まえがき」よりも前に「新日本延命学の発刊を祝す」、巻末には「新日本延命学と祈りによる世界平和運動」という文が載っていて、筆者の肩書は、前者が、「祈りによる世界平和運動推進本部本部長」、後者は、「新日本延命学」、「祈りによる世界平和運動」を併記となっています。
改めて奥付を見ますと、「発行者 新日本延命学後援会」、「発行所 新日本延命学研究所」ともあります。これらのことから、『新日本延命学』という本は、祈りによる世界平和運動を推進している白光真宏会の上層部に新日本延命学後援会があって、その方たちによって編纂されたのではないかと、わたしは思っています。